ヘアメイク30年史 ‐破 天才安室奈美恵に追いつけない
流行の定義
ファッションの主流は一般的に15歳~25歳女性の平均的スタイルのことであり、そのスタイルには必ず模範となるモデル、お手本が存在する。時代を牽引するモードはその特徴が先鋭化されたものがほとんどであり、それを薄めたものが一般化して広まっていく。これが流行である。私の個人的な感覚で言えば、90年代前半の代表的なモデルは「工藤静香」、後半は「安室奈美恵」なのではないかと推測する。
もちろんその時代の全ての女性が流行に追随しているわけではない。むしろほとんどの若者はその時代のメジャーな流行など気にしないであろう。80年代のヤンキーブームだからといってクラスの男子全員がリーゼントにしたわけではない。私は安室奈美恵全盛期に高校生だったが、クラスの女子全員がアムラーだったわけでも当然ない。
しかし誰しも時代の流行に多かれ少なかれ影響されるものである。メイクをするにせよ、洋服を選ぶにせよ深層心理で必ず誰かを模範にしているし、自分で洋服を作るでもない限り、店舗で服を買うわけで、流行の服を選ばされている立場である。特にヘアスタイルとなると自分が無知無関心であるほど美容師が流行の髪型にしてしまうという現象が起こる。
余程の自意識でもない限り周囲とかけ離れたファッションなどできるはずもなく、無難を求める結果、流行に流される。そこには日本人特有の同調圧力が存在し、つまり流行にはある程度の強制力が働く。若い女性であれば尚更流行から逃れることは難しい。
時代の大転換期 工藤静香から安室奈美恵へ
これほど流行が急激に変化した10年間があっただろうか。写真を並べるとその激しさに改めて感心してしまう。2人を生み出した90年代の変遷を分析してみる。


「カラーリング技術」向上と「シャギー技術」の進化
2人を見比べると、前髪を立ち上げ、パーマで全体に膨らみを出すスタイルからサラサラストレート志向へと急激に変化している。さらに90年代は美容室のヘアカラー技術の進化と安価なカラー剤が市販されるようになりヘアカラーが急速に普及した。若者が茶髪にすることはほぼ常識となり黒髪はダサいという風潮すら生まれ、茶髪にすることはイケてる若者になる通過儀礼のようであった。カット技法ではシャギーとレイヤーカットが隆盛しロングヘアの毛先を梳くスタイルが圧倒的主流になる。とにかく毛先が重いことは悪とされ(茶髪の流行も黒髪が「重い」という感覚なのだろう)若者たちの毛先はどんどんスカスカになっていった。21世紀へ入るとシャギーとレイヤー技法がミックスされ「ウルフカット」へ先鋭化していった。ガチャガチャとハサミを振り回す「カリスマ美容師」なる怪しい連中が台頭してきたのもこの時期で、フジテレビの深夜帯で彼らの技法を競わせる番組(シザーズリーグ)まで登場した。知名度を獲得したカリスマたちは主に表参道・青山などに棲息し法外なカット料金をぼった食っていたが、そのカリスマたちの親分が実は「無免許」だったことが判明しブームが終焉。極端なシャギーは影を潜めたが、毛先を軽くする概念やレイヤーは00年代を通して定着していった。
アーチ型細眉毛
この時代を最も象徴するのが眉である。自眉を極限まで細くカットしペンシルで描く。それまで眉は「メイク」ではなく「カット」して揃えるという意識がペンシルで「描く」ことが主流化したと捉える現象である。実は安室奈美恵はそこまでアーチにしているわけではない。彼女の細眉に一般人が極端に反応した結果、眉毛を全部抜き一筆書きのような眉毛(しかもガタガタ)が続出した。安室奈美恵を模写することすらハードルが高いのに曲解した結果は目も当てられない。90年代前半に思春期を送った20代中盤くらいの女性たちは、この細眉には最も抵抗があっただろう。流行の担い手が高校生ということもあり、彼女たちが細眉に切り替えることはほぼ無理だっただろうと推測される。安室奈美恵以前のスタイルを堅持することが「バブルの生き残り」などと揶揄されるのは、この180度近い真逆の変化に反応できなかったからだろう。そんな自分も「肩パット入りジャケット」を着ている三十路女性に対し「バブル」とあだ名をつけたことがある。ごめんなさい。
青の時代
この時代ブルー系アイシャドウ+シルバー、パープル+ブルーのコンボは常に選択肢の一つだった。工藤静香も安室奈美恵も基調色をブルーにすることが多く、90年代前半は紫や深い青だったものが後半になるとよりクリアな青が使われ始める。2000年前後の化粧品会社の広告は「クリアブルー」系アイシャドウは主力と言っていい。
なのに、だ。
私が仕事を始めた頃、ずっとこの青には疑問を持っていた。ブルーのシャドウを使うとどうやっても上手く仕上がらない。練習でも仕事でも、何度青を使ったことか。納得した仕上がりになることはほとんどなく、これはまだ自分が駆け出しで技術が未熟なのだと自分に言い聞かせていたが、時が経ち経験と勉強を重ねると、黄色人種に青は根本的にバッティングして似合わないということがだんだんとわかってきた。安室奈美恵及び雑誌の中のモデルたちが青を使いこなしているのは、それは単純に彼女たちが「美人」だから許されているだけ。雑誌・広告メディアが現実と乖離した偶像を使ってまんまと売りつけていたと言える。SNSが発達した現在、現実離れしたモデルはお手本とされなくなり、ブルーは死滅したといっていい。かわりに主流になったのは黄色人種に最も良く似合う黄色~橙色、ブラウン+ピンクベース色である。

安室奈美恵
ギャル文化を創出した功労者。孤高の天才であるがゆえ彼女自身のスタイルの変遷も早く、アムラー文化が去って以降もアーティスト、またファッションモデルとして常に最前線に存在した。

安室奈美恵 派生系 ‐① アムラー
日焼けした肌、茶髪のロングヘアに厚底ブーツが目印。厚底ブーツの底は際限なく高くなり続け、最終的に竹馬に乗っているのか?とツッコミたくなるまで高くなる。居酒屋でブーツを脱いだ彼女たちの身長の低さにいつも驚かされた。素人が安室奈美恵のマネをするにはハードルが高く、ほとんどが安室奈美恵の劣化版であった。それを察してかアムラー文化は意外に早い終息をみた。

安室奈美恵 派生系 ‐② コギャル
工藤静香スタイルはうっすらと「反社会的」なイメージがありスクールカーストの最上位の女子にしか許されず、教育現場からも敬遠されていた。安室スタイルは広範囲の中高生へアプローチしたことにより「中高生であること」すらもブランド化していった。

eggポーズ
エッグという雑誌がコギャルを前面に押し出し「エッグポーズ」なる手の平を逆さに向けて腕を伸ばすポーズを流行らせたとされるが、当時高校生だった自分はこんなポーズをとっている同級生を見たことがない。メディアが作り出した嘘を歴史的事実として後世に残してはならない。

安室奈美恵 派生系 ‐③ マンバギャル派生型の最終形態であり、ここに至って完全に安室奈美恵系統のギャルは死滅することになった。入れ替わるように浜崎あゆみ系美白ギャルが台頭。極端な進化は滅亡の予兆であることを思い知らされる。

ウルフカット
ショートカットに襟足だけ伸びたような髪型。2000年初頭この髪型は確実に流行していた。女子たちはこぞって毛先を軽くしていた。そして十数年、現在この髪型にするのは女子プロレスラーだけとなる。

カネボウテスティモ/2002年秋の新作リップ広告
アイシャドウの広告でもないのにブルーのアイシャドウを基調にしている。いかにブルーが「当たり前」として定着していたかがわかる。一般女性におよそ似合わない色をゴリ押ししたメディアの責任は大きい。
理想的な小顔と細いスタイル、仄かに褐色の肌が異国情緒すら漂わせる。歌もダンスも超一流、ファッションモデルとしても超一流のスーパースター安室奈美恵は若者のファッションアイコンとなったのは当然だった。しかし振り返ってみれば彼女がファッションアイコンだったのは最初期の間だけで、その後マンバギャルのような様々な亜種が生まれたが、安室奈美恵からどんどんかけ離れていくばかりだった。その理由は明白で、模写する対象としての安室奈美恵はハードルが高すぎるからである。安室奈美恵のファッションやメイクをすればするほど、どんどん遠くなる。それは街行くアムラーを眺めていた大衆の総意だったことは間違いない。真似をすれば近づける、尚且つみんなが憧れるアイコンが欲しい。その葛藤に現れたのが浜崎あゆみである。
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