ヘアメイク30年史 ‐終 韓流をツクリカヘルチカラ
韓流メイクの浸透
10年代メイク手法の原型は「韓流アイドル」に見られる。00年代中盤、ペ・ヨンジュンという韓国版黒船が来航して以来、日本のエンタメコンテンツに韓流が一つの選択肢として定着していった。ほどなくして整形で武装された韓国式美女グループが日本に進出し、男性の下心をくすぐる容姿と喜び組を彷彿させるキレの良いパフォーマンスでエンタメ界を席巻。日本人男性を虜にするや、次の一手でジャニーズも真っ青なイケメングループも送り込まれる。まさに雪崩を打つ勢いで襲い掛かる韓流に抗えず、一時期日本の芸能界は韓国一色となった。この韓流女性グループのメイクが少しずつ地盤固めをしながら浸透していく過程が10年代である。
-非立体主義
10年代メイクの最大の特色。元来、顔全体の陰影はメイクの基本中の基本である。フェイスシャドウ、ノーズシャドウ、アイシャドウはその名の通り「シャドウ」で影を入れつつ、頬骨、鼻筋など高さを強調する「ハイライト」を入れ全体に立体感をつける。メイクとは究極的に言えばこの立体を作る作業に他ならない。私的に言えばチークですら影の一部であり立体感を作るためのテクニックだ。にも関わらずこの年代のベースメイクの主流は能面のようにノッペリと色白に仕上げるものであり、これはなかなかの逆転的発想である。そして真っ白な肌のキャンパスに強調するもの、それが「真っ赤な口紅」と「涙袋」。真っ赤なリップカラーは80年代に隆盛を極め、00年代に入りヌーディメイク全盛期では古くてダサイのレッテルを張られ長く不遇の時代にあったが、見事復権を果たした。目の下の膨らみ(涙袋)を強調するのも大きなポイント。もし涙袋がない場合、涙袋のラインを描き足して人為的に作るという強引なこともする。アイメイクは上瞼だけでなく下瞼も重要なファクターへと移行した。
-平行眉
90年代後半、安室奈美恵によってもたらされた眉革命から20年。極端に鋭角化した眉が20年かけて角度が下がり続け、ついに角度が0になった。平行からさらに下げてハの字で「困り眉」なんていう遊びもあったがトレンドは平行で帰着した。やはり眉毛は時代を映す鏡と言える。80年代も眉は平行であったが、その時との違いはきっちり「描く」という部分にある。自眉を活かす80年代に比べ、化粧品を用いて描いていますと主張するのがトレンド。眉毛はあからさまに描いている感を出してはいけないというのがナチュラルメイクの鉄則であるが、平行眉においては描いている感を出さないと逆に野暮ったくなるという現象が起こる。90年代の鋭角眉のあからさまな描いてます感は違和感しかなかったが、平行眉の作り込みにはそういった違和感を感じない。それは現代の若者の全体的なメイクの完成度が高いという、やはりメイク技術の底上げ効果が大きいためと感じる。
-カラーコンタクト
私のような旧世代にとってコンタクトレンズは視力矯正以上の意味は持たないが、現代では特に目が悪いわけでもないのにメイクの定番アイテムとして使用される。伊達メガネならぬ伊達コンタクトだ。もはやカラコンなしではメイクが成立しえないほど現代メイクはカラコンに依存している。瞳の色を薄くするグレー、ブラウン、逆に黒目を強調するリファインなど、さりげなく瞳の色を盛ることで顔の印象を劇的に変えることができる。とかく目周りを派手にする浜崎メイクはどんどん簡素化され最終的にカラコンに取って代わられた事実はなかなか興味深い。ちなみに自分も黒目を大きくするリファインというコンタクトをファッションでつけたことがあるが、視力矯正用コンタクトより重量が重く、目の疲労度が激しいのですぐにやめた。こんなものを常用している若者は素直にすごいと思う。ファッションするにも一苦労だ。
美容整形は普及・定着するか
韓国では親が子供にプレゼントで美容整形させる、そのくらい整形は普及しているそうだ。日本にも美容整形クリニックが町のいたるところに進出し、価格競争の結果少し背伸びをすれば庶民にもお手軽にできる時代となった。二重切開やレーザー治療などのプチ整形から、鼻骨・頬骨手術、脂肪吸引やヒアルロン酸注射、シワをのばす皮膚縫合などバラエティに富んだ施術がある。私は適度な美容整形には賛成の立場である。二重にしたり、シミやホクロのレーザー治療などは、もはや整形の範疇にも入らない。ただ過度の美容整形、例えば鼻を高くしたり顔の輪郭を削ったりと骨格そのものを矯正するような整形はまだまだ世間が許容しているとは思えない。刺青に対する考え方に似ていて、西欧圏では身体を改造することに歴史的に抵抗がないようで刺青は思い出づくり程度の認識らしいが、日本での刺青は江戸幕府が犯罪者への烙印としていれたのが起源であり、それが時を経て俗世への決別を意味するようになった。いわゆるヤクザへの登竜門である。骨格を矯正する美容整形が根付くかどうかは、今後の日本の思想哲学の範囲にまで拡大する可能性をはらんでいる。
日本版アイドルグループメイク
日本のナチュラルメイクは良い意味でクセがなく主張しない。とても日本人らしさが滲む。良く言えば「素材を生かす」であり悪く言えば「つまらない」メイクと言える。
韓国版アイドルグループメイク
対して韓流メイクは「こういう顔にする」という強い意志が感じられる。韓国の共通美の概念と韓国人メイクさんの手癖がこうさせているのだろう。良く言えば「統一感のあるメイク」であり悪く言えば「型にはめる」だろうか。
おニャン子から卒業した工藤静香は高度なアーティスト能力で日本版トサカヘアを普及させた。それに比べAKB48はあれだけ旋風を起こしたにも関わらず単体での能力不足は否めない。秋元康は80年代に「おニャン子クラブ」そして00年代に「AKB48」で2度芸能界でブームを起こしたが、ついにグループとしてファッション・メイク文化へ影響を及ぼすことはなかった。
流行は迅速・広範囲へ広がる現代
アムラーや浜崎風キャバ嬢は承認欲求を外見で叶えようと試みる一部の尖った若者だけの流行であった。学校で例えればスクールカーストの上位数パーセントに許された特権的流行とも言える。昨日まで校則を遵守し勉強や部活を真面目に取り組んでいた生徒がこの流行に乗るためには、ある一線を飛び越えなければいけない。この一線の向こうにはギャルの世界が広がっている。でもそれは同時に今までの世界とお別れするということでもある。これが高校デビュー、大学デビューと揶揄されるゆえんである。そのため多くの一般女性は流行をスルーするのが現実であり、流行にどっぷり浸かる一部の者とそうでない者とで二極分化されていた。流行への一線を躊躇する大多数の女子たちに救いの手を差し伸べたのが韓流メイクが進化した現在の「量産型メイク」である。
量産型メイク
韓流メイクが日本で浸透する過程で日本風に進化を遂げ、それは「量産型メイク」と称されるようになった。目立ちたくはないけど流行りに乗ってかわいくなりたい。そんな大多数の女子たちのわがまま願望を見事に叶えたメイク手法である。かつて芥川龍之介は欧米文化は日本へ流入しても必ず日本流にアレンジされて定着すると分析した。(ハロウィン、クリスマス、バレンタインデーなど)。それを日本人の「ツクリカヘルチカラ」と名付けた。彼が亡くなって100年近く経つが日本人のツクリカヘルチカラは尚健在である
くるりんぱ
ヘアセット業界に革命をもたらした技法。それまでヘアセットの代名詞であった盛り髪を駆逐した功績は筆舌に尽くしがたい。髪の束をゴムで一度いわき、結び目を緩ませて1回転させる。この技法の優れたところは自分でも簡単にでき、尚且つ複雑なことをやっているよう演出できるところにある。このブームが去ったとしても1技法として後世に続いていくだろう。
シースルーバング
量産型メイクにおける前髪の作り方。矢田ちゃんみたいな前髪にしてください、が前髪セットの合言葉であった00年代。当時隙間ができる前髪の作りは失敗とされ何度も先輩から怒られたが、実は当時から隙間を作った方がかわいいと感じていた私は10年ほど感性が先に行っていたようだ。
地雷メイク
コロナ自粛期間中に「地雷メイク」やってみた動画が多くあがり、あれやこれやとメイク技法を解説していたけど、結局カラコンありきのメイクであることに当人たちは気付いているだろうか。カラコンの今後の動向がメイク手法の変遷へ大きく影響するだろう。
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