ヘアメイク30年史 ‐序   松田聖子から工藤静香へ

流行は使用価値ではなく「記号」として出現する ―ジャン・ボードレール

私がメイク専門学校に入学したのが2001年の初春。専門学校といっても週2回の授業が1年続くカルチャースクールのような学校だった(授業料は大学並)。2001年は戦後2番目の超就職氷河期と呼ばれ、当時私は大学3年生で就職戦線に早々と見切りをつけ、両親の反対を押して中退してしまった。思い返せば若気の至りとは本当に怖い。ホワイトカラーになる道を諦めた人生に残る選択肢は1つ。職人しかない。本屋で専門学校ガイドを立ち読みしながら、どういった仕事をこれからするべきか悩んでいると、ふとある考えに至った。

「どうせ何やってもイチからなんだから、何を選んでも同じ」

こんな重大なことになぜ今まで気づかなかったんだろう。まるで菩提樹の下で悟りを開いたブッダの気分だ。そして目を閉じて本をパラパラとめくり、適当に指をつっこんだページの学校へ行くことに決めた。そんな理由で特に深い思い入れもないこの業界へ足を踏み込んだ。大学を中退した親不孝者の、その代償と誓約は「授業料分この仕事で稼ぐまで絶対辞めない」という決意だけだった。

あれから20年。専門学校の同期たち、そして仕事で出会ったたくさんの同僚たちがこの仕事に挫折し、あるいは趣味程度の活動になる中、幸せなことにずっとこの仕事で生計を立て、親へ小遣いを払える身分にすらなることができた。平成の歴史とともに続いた美容人生。40歳になった今、この仕事へ感謝するとともに、もはや人にメイクすることでしか稼げない大人になってしまった若干の後悔も込めて、平成が終わり令和へと移るこの節目に、平成30年間のメイク及びヘアスタイルの変遷を、90年代、00年代、10年代の3部作で自分なりの視点で総括しようと思う。

80年代を引きづった90年代初頭

90年代前半は80年代の残像が色濃く残っていた、と言い切ってしまうのもなんだが、80年代~90年半ばあたりまで時代の風景に断絶がなくそのまま地続きだったように感じる。一般的に「バブル崩壊」は90年~93年の3年間で1989年時点での日経平均株価が半値まで暴落した時期を指すが、一般庶民に株価暴落なんてほとんど縁がない。庶民に対する暴落の影響は遅れてやってくる。日経平均の崩壊を横目に引き続き「ジュリアナ東京」ではワンレンボディコンのお姉さんが踊り狂い、学校ではビジュアル系バンド(BOØWY、X並びに吉川晃司)をリスペクトする不良男子たちと、前髪をニワトリのように逆立てた不良女子たちが幅を利かせていた。

ゆえに90年代初頭を語る上で80年代のスタイルは避けて通れない。そして80年代は全て聖子ちゃんカットの派生であったといえる。80年代の美容事情は自分がまだ子供だったので正確にはわからないが、想像するに「毛先を梳(す)く」というカット技法は存在していたとはいえ、まだスタイルとして昇華されていなかったように思う。女性のカットは毛先を揃えるだけのロングヘア(後にワンレングスと呼ばれる)、もしくはパーマを「当てる」の2択だった。

まだまだ男女の性差意識が極めて強い時代であり、女性の髪が長いのは当たり前。ショートカットは結婚して家事育児に突入したオバさんのための実用的スタイルであり、若者にとって余程の強い思想でもない限りショートカットは女性「性」から降りたスタイルであった。ロングヘアは「女性らしさ」を体現する最も有効な手段とされ、その隙間に入り込んだのがミディアムロングで作る「聖子ちゃんカット」だ。これはもう、爆発的に流行していたのだろう。幼少期に読んだ80年代漫画のヒロインは、ほぼこのヘアスタイルで統一されていた。

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松田聖子
数々の名曲を世に送り出した80年代の歌姫かつファッションリーダー。男にだらしなく晩年はサイボーグ化の憂き目に。

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七瀬千秋
ろくでなしブルースのヒロインにして最大のトラブルメーカー。毎回敵対勢力にさらわれ、そこから不良同士の抗争に発展する。

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浅倉南
日本の歴史的ヒロイン。男たちに気を持たせる天才。かわいい女子が頑なに彼氏を作らないと周辺男子たちが大混乱に陥る、そんな教訓を教えてくれる名著。



聖子ちゃんカットに一石を投じたのが前髪を立ち上げる「トサカヘア」である。この第一人者が、おニャン子クラブから1人突出したアーティストに転身した工藤静香だった。日本におけるトサカヘアの震源地を工藤静香にしていいかどうかは異論があるが、一番強烈なトサカだったのが工藤静香であった認識は許してほしい。このトサカヘアはホットカーラーで立ち上がりとカールをつけ、逆毛を立てて流れを調節して作るものと思われる(実際に作ったことがないので何とも言えない)。当時のドラマでも寝る前にパジャマ姿に前髪にカーラーをのせているW浅野がチラホラ散見された。きっと全国のイケてる女性たちはみんな就寝前は前髪にカーラーを巻いて寝たのだろう。当時唯一身近にいた女性である母親がカーラーをしているところは見たことがなかったが、ワンレングス、もしくはソバージュパーマのロングにトサカ前髪の組み合わせは、夜行性で尖り目の女子大生やOLたちに流行していたものと思われる。

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工藤静香
おニャン子クラブというふざけたグループから唯一アーティストとして進化した。この前髪にして顔の横で右手をタテとヨコに切れば簡単にものまねができる



この立ち上げる前髪は、80年代アメリカンポップスの名だたるミュージシャンたち(主にロック寄り)の定番スタイルだったものを前髪だけに応用したものではないかと推測する。欧米のロッカーたちは比較的髪の毛全部を逆立てがちであるが、これを前髪だけに取り入れて、様々に変化させたのが日本の「トサカヘア」である。欧米人の逆立ちは少し乱暴で荒々しい感じであるが、さすがそこは日本。同じトサカでも、とても繊細かつ緻密な作り方でアレンジした。一口にトサカヘアと言っても立ち上がり方から毛流れまで十人十色、世間に浸透した時点で少しおとなしい感じになっているのもまた日本人らしい。このスタイルは女性に限らず男性にも蔓延していた。藤井フミヤがお手本となったチェッカーズカット(と呼んでいたらしい)も前髪を不揃いにして逆立たせるというもので、男性アイドルの定型的髪型だった。チェッカーズカットはYMOのテクノカットの流れを踏襲しており、YMOは後に北京交響楽団の団員の髪型を真似たと述べている(ウィキペディアより)。男性の前髪逆立ちスタイルが中国発で、女性が欧米発というのも面白い現象だけれど、このスタイルが全世界的に流行していたことは間違いない。

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シンディローパー
トサカヘアの震源地と思われる。映画「グーニーズ」とセットで日本で大ヒット。映画本編でも本人のドアップ映像が映りこんでいた。海賊の沈没船らしきもの、及びその財宝はうちの近所にも当然あるものだと思い込んでいた少年時代、いろいろな意味で影響が強かった。

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藤井フミヤ
当時のジャニーズを含めた男性アイドルの定番の髪型。前髪を立ち上げるという概念は男性にも当てはまっていた。チェッカーズという烏合の衆を1人でまとめ上げていたイケメンベビーフェイス。

流行の時間差による「稀薄性」と「強制性」
流行は形成される過程で震源地より遅れて、かつ薄まった形で浸透する。流行が発信され(発信源はそれぞれ)世間に普及するまでに感覚的に1年~2年かかるだろうか。その時間差は、それが本当に流行っているかを世間が見極める時間だと考えられる。流行の震源地から、コアファンが真似をし、そしてその周辺が真似をし、そうやって円環状に伝達され徐々にカドが取れた形で浸透する。そして流行は同時に「強制力」となる。テレビの中のアイドルが「聖子ちゃんカット」だとしても、それはあくまでテレビの中での話。自分の周辺には関係ないと思いきや学校のイケてる女子たちがこぞって「聖子ちゃんカット」にしたとする。そうなるとイケてるグループへ所属するため、あるいは異性の気を引くために(私の好みではないが)真似せざるを得ない空気が形成される。この状態が「流行」である。流行の本義は好む好まざるを超えて強制力が働くものである。

流行がひとたび蔓延すれば通常状態として「定着」するか、もしくはあっという間に「消える」かのどちらかであるが、ファッションや美容において「定着」することはほぼ皆無であり、新たな流行に必ず取って替わられる運命にある。90年代中盤以降にルーズソックスという靴下が女子高生に流行し、それまでのハイソックスをあっという間に駆逐した。当時その渦中にいた高校生の私はルーズソックスは流行を超えて定着するものだと信じて疑わなかった。けれどあっという間に次世代からスポイルされ、今や江戸東京博物館に過去の遺物として展示されている。あの完全に定着したかに見えたルーズソックスですら流行の強制力が働き、実は主体的な意思で履いていた女子高生はほとんどいなかったという事実。そんな事実すら見えなくなるほど流行の渦中にいるとは恐ろしいものだ。

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千堂あきほ
トサカヘアが薄まった形で広まった一例。ドラマの脇役で見ない日がなかった。流行の最先端だったはずが若くして次世代から取り残された90年代の代表的芸能人

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森高千里
明らかに90年代前半の人であるがそもそものポテンシャルが高かったせいか90年代後半まで命運を保ち続けた。

時代を破壊した寵児 安室奈美恵

90年代中盤、安室奈美恵というスーパースターが彗星の如く現れた。彼女はジャパンポップスの価値観を変えただけでなく、それまでの美容的なもの全てを「古臭いもの」に変えてしまった。彼女のメイク・髪型・ファッションがこれまでの地続きを180度ひっくり返してしまったのだ。いわゆる当時のトレンディ俳優たちは、まだ20代中盤にもかかわらず若者代表から中堅へと押しやられ、前線のアイドルたちは(リボン、ココとか3Мあたり)安室路線の転換が無理とわかるや完全に死滅してしまった。これ以降ギャルと呼ばれる安室奈美恵の劣化版が大量生産されることになる。若者文化をガラっと変えてしまった意味で90年代は安室奈美恵「以前」と「以後」に分類される。特にメイクの作りが全く変わってしまったことが致命的であった。細かい技術論は後に譲るとして、流行とは奇妙なもので、最初は誰もやっていない最先端であることの優越性から始まり、流行状態に入るとみんな同じであることの安心感が優先される。そしてまた人と違うものが発信され、それが新たな流行となり旧世代を駆逐する。生物が核分裂を繰り返すように、モードもまた繰り返し再生産される。流行の発信源が松田聖子、安室奈美恵のように「個」の場合もあり、トサカヘアのようにヤンキーたちの「塊・群れ」を軸にすることもある。90・00年代は雑誌・テレビが10年代はSNSと流行の媒介メディアも変遷を遂げたが、核が存在するということは不変であるように思う。

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